アルケノン古水温計の湖沼・沿岸域への応用 Alkenone paleothermometry in lakes and marginal sea
アルケノン古水温計の湖沼・沿岸域への応用 Alkenone paleothermometry in lakes and marginal sea

アルケノン古水温計の湖沼・沿岸域への応用 Alkenone paleothermometry in lakes and marginal sea

アルケノン古水温計 Alkenone paleothermometry

アルケノンは海洋堆積物にしばしば含まれるケトン化合物で、炭素数37-39(C37-C39)という超長鎖の直鎖状アルキル基にトランス型の二重結合を2-4個(2-4不飽和)持つエチルまたはメチルケトンです。このような化合物は、海洋表層に生息する植物プランクトンの Emiliania huxleyi をはじめとするハプト藻イソクリシス目の種が特異的に生合成します。アルケノンの不飽和度(二重結合の多さ)はハプト藻の生育水温に応じて変化するため(図1)、堆積物中に保存されたアルケノンの不飽和度を用いて過去の海洋表層の水温を復元することができます。このような手法は有機分子を用いた古水温計「アルケノン古水温計」として、古海洋学における定番の水温復元手法としての地位を確立しています。

図1. 代表的なアルケノン分子(炭素数37の2〜4不飽和メチルアルケノン)とその生産種:アルケノン生産種は、成育水温に応じてアルケノン組成を調節していて、低温ほど3不飽和や4不飽和アルケノンを多く合成する。
図1. 代表的なアルケノン分子(炭素数37の2〜4不飽和メチルアルケノン)とその生産種:アルケノン生産種は、成育水温に応じてアルケノン組成を調節していて、低温ほど3不飽和や4不飽和アルケノンを多く合成する。

湖沼や沿岸海域への応用

海洋の古水温計としてすっかりメジャーになったアルケノン古水温計ですが、その応用のフロンティアは陸水環境にも広がりつつあります。大陸内陸部の湖沼(北米・南米・東アジア)や、グリーンランドや南極のような極域の湖からもアルケノンが見つかっていて、かなり多様な陸水環境にアルケノン生産種が分布していることが分かってきました。日本では、北海道豊似湖・秋田県一ノ目潟、島根県宍道湖・中海の堆積物からアルケノンが検出されています。陸水環境でもアルケノン組成から古水温を復元することができれば、大陸内陸部や極域をはじめとして、陸域の古気候・古環境研究の有力なツールとなることが期待されます。

ところが、湖沼堆積物中のアルケノンを分析して得られたアルケノン不飽和度を、海洋と同じ換算式を用いて水温に換算すると、ほとんどの場合、実態とはかけ離れた数値になってしまいます。湖沼や沿岸域には外洋とは異なるアルケノン生産種が分布して、それらの種もアルケノン組成を水温に対して変化させるものの、その対応関係が E. huxleyi などの外洋種とは大きく異なっているのです。したがって、湖沼でアルケノン組成を古水温計として利用するためには、湖沼に分布するアルケノン生産種を特定して、生産種ごとの水温応答(不飽和度–水温換算式)を明らかにする必要があります。

陸水のアルケノン生産種の多様性

陸水のアルケノン生産種は長らく不明でしたが、環境DNA分析のような分子生態学的研究の応用により、多くの湖沼環境でイソクリシス科に属すると考えられる遺伝子配列が見つかっています。さらに、未記載の科レベルの分類群†の存在も明らかになり、遺伝的に多様な種が湖ごとに棲み分けていること分かってきました。

🖼

系統樹を貼り付ける予定

アルケノン生産種ごとの脂質組成&水温応答の特徴を見極める(わたしたちの研究成果)

私たちはこれまでに、複数の培養株を用いてアルケノン組成の特徴を記載し、水温換算式を求めてきました。さらに、アルケノンが見つかる湖沼で実際にアルケノンを生産しているハプト藻を単離するため、豊似湖やカナダ内陸塩湖などでのサンプリングを行い、新たなアルケノン生産株を単離する挑戦も進めています。果たして、アルケノン生産種の遺伝子からみた系統関係と、水温応答を含めたアルケノン組成の特徴はどこまで対応づけられるのでしょうか?

4不飽和アルケノンを多量に合成する生産種の発見

Tisochrysis 属のアルケノン組成の特徴と水温応答の解明

  • Tisochrysis 属は比較的最近記載されたイソクリシス目の新属ですが、その代表的なタヒチ産の培養株(T-iso, Tahiti strain などと呼ばれる)は以前から養殖用の餌として大規模に利用されるなど比較的よく知られた株で、Isochrysis 属の一種だと考えられていました。実際、I. garbana T. lutea の形態はかなり似ているのですが、Bendif et al. (2013) の研究により、むしろ Isochrysis 属Ruttnera 属のほうがより近縁で、T. lutea はそれらの属とは遺伝的に顕著に異なるグループであることが明らかになったのです。Nakamura et al. (2016) では従来 T-iso や Isochrysis 属とされていた株を遺伝子配列から Tisochrysis lutea であると同定した上で、アルケノン組成とその水温応答の特徴を培養実験により確かめました。Tisochrysis lutea は、イソクリシス科の他の2属と異なり、4不飽和アルケノンをほとんど合成しない (Nakamura et al., 2016)。また、至適増殖温度が高く、E. huxleyi は概ね 28 ℃ 付近で不飽和度応答の感度を失うのに対して、ほかのアルケノン生産種が増殖できない 35 ℃ 程度までアルケノン不飽和度の割合を変化させながら増殖するという特徴を持つ。T. lutea は海域からしか単離例がないものの、近縁な配列は湖沼からも報告されている(Theroux et al., 2010)。4不飽和アルケノンが検出されない内陸湖沼(Toney et al., 2010)の現場水温とアルケノン不飽和度の関係は、本研究で明らかになった T. lutea のものと最もよく一致する。こうした傍証から、4不飽和アルケノンをほとんど作らない T. lutea やその近縁種が一部の湖沼でアルケノン生産を担っている可能性を指摘した(Nakamura et al., 2016)。

アルケノン合成系と不飽和度調節機構・バイオ燃料生産への応用

アルケノン生産種は、高い増殖速度と、アルケノンや長鎖アルケンなどの炭化水素を生合成する能力を兼ね備えています。これを利用して、独特の特性を持ったバイオ燃料や化学原料生産への利用が期待されています。